上記のような衝動が起源である。何と言っても、学校における定期的な試験や学校まかせ・学校頼りの教育(偏差値・評定論)、又ある年齢が到来すると一斉に考え対策や行動を開始する進学受験・就職活動等の勉強とは異なり、周りに左右されず自発的に試験概要を調べあげ挑戦し、その勉強した分野が免状や合格証として形に残る事、自分で考えて行動する事に、深い魅力を感じている。
且つ又「物事の本質を理解したい」,「時間に余裕のある学生だからこそ挑戦出来る(た)」,「一大学一学部内では学び得る事の出来ない知識を習得したい」,「“一生使わね〜よ”と過信していた、小中高大“一般教養”の知識を具体化したい」,「学生の内に様々な分野の仕事の苦労,難しさを知り、見聞を深め、見識を高めたい」,「資格の知識が日常生活で役立つ」,「蘊蓄・雑学力を高めたい」,「思いやりの心に磨きをかけたい」,「何でも屋でチャレンジャーのガチャピンに憧れていた」,「幼い頃に見て衝撃を受けた映画『ランボー(First BloodRambo)』の主人公(あらゆる銃火器を取扱い、バイク・トラック・戦車・ヘリを運転操縦し、様々な知識と技能を駆使)に憧れていた」他、私にはこのような理由もある。
例えば、何らかの災害・事件に遭遇し、その場から迅速に逃げなければ命に関わる事態となった。そこに、偶然バイク(MT車・キー付・燃料等有...運転可能状態)が放置されていたと仮定する。この時、自動二輪の運転免許を持つ資格者ならば、問題無くバイクで逃げられる。しかし、資格、或いは知識の無い者はバイクの運転操作法が分からないがために逃げ遅れる可能性がある。要するに「知らないという事がリスクとなる」といった格好だ。自分の身を自分で守れずにいて、他人の身を守る事は出来ません、助けられません。
これが私の思うサバイバル・危機管理的な観点から考察した資格の魅力である!!
又、取得した資格を就職や仕事に活用する際、忘れてはならない事がある。それは「資格+選任」=「資格」となる事だ。雇い主等に資格者として適切か否か人格・責任が問われる事、資格を取得した=即就職・仕事につながる訳ではない事を忘れてはならない。
資格の学習をしていると、世の中、個人・企業の自己完結は有り得ない事、あらゆる人・職種・業種・技術・苦労の連鎖により便利で豊かな社会が成立している事、まだ知らぬ分野や技術が多い事等に驚く。それら全てを知る事は不可能。しかし、少しでもそれに近付きたい。知らない事を知る面白さ、失敗しても、不合格であっても、何度でも挑戦出来てしまう…
…さぁ、「大学受験・定期テスト勉強が終わったから、仕事が片付いたから」、+α(資格)の「学習を始めよう」じゃないか!絶対に、安全ボケ・便利ボケ・平和ボケ・サービスボケであってはならない!
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